音楽漬け漬け漬け漬け
昨日はブログを書くことができませんでした。
でも、昨日はうっかり書くのを忘れていたわけではなく、0時前までに書くことがどうしてもできなかったのです。
タイトルの通り、昨日はこれでもかというほど音楽漬けの一日でした。
時系列で書くと、
13時から、道の駅かでなの週末市というイベントで、僕自身のライブがありました。
与えられた30分間、オリジナル曲含む6曲を全力で演奏しました。この時点ですでにヘトヘトになりました。
18時からは、母が所属する混声合唱団の定期演奏会に行ってきました。
合唱のレベルの高さにも感動したし、選曲も素晴らしい歌が多く、いい刺激をもらいました。
年齢層は高めの方々でしたが、この日のためにコツコツと練習を重ねてきたのだと思うと、人の持つエネルギーって本当にすごいなと感動しました。
「歌」っていいな、と改めて思いました。
音楽仲間のそうすけ、しげゆき、そしてそして初めて拝見します竹原ピストルさんのライブでした。
そうすけは、僕にはない感性を持っているので、彼の感覚はとても魅力的だし、曲もかっこいいものばかりです。
持っている世界観は違うけど、音楽に対する熱量は同じものを持っていると勝手に思っているので、近いうちまた酒を飲みながら本音で語り合いたいです。
昨日のライブも、たくさんのお客さんの圧に負けないぐらいの、思い切りのいい気持ちいい演奏でした。
しげゆきは、ライブの構成についてとてもよく考えているなという印象があって、歌を聴かせながらも、エンターテイメントでお客さんを楽しませたいという気持ちが見えるステージでした。
彼とは10年ぐらいの付き合いになって、様々なしげゆきの移り変わりを見ているつもりだけれど、しげゆきはまだ自分を探しているのかな?
僕の思いとしては、「迷いながらも変わり続けていくこと」こそ、まるごと全部含めて「自分らしさ」なのかなと思います。
とにかく、しげゆきもよかった。
そうすけとしげゆきの曲は、ぜひカバーして自分のライブで歌いたいと思います。
そしてそして、初めて拝見する竹原ピストルさんのステージ。
これは事細かに書いてしまうと野暮ったくなりそうなので、というか濃厚な衝撃を食らい過ぎて、感想がまとまらないだけなんだけど、竹原ピストルさんの感想は、
リアリティ、等身大、無骨、旅人、歌うたい、魂の叫び、汗、命懸け、素直、感受性豊か、歌詞の秀逸さ、義理人情、人間臭さ、図太いヤリで心を突き刺してくるようなエネルギー
という、ことですかね。
特に竹原ピストルさんが和訳して歌っていた「アメイジンググレイス」では、僕は涙が止まりませんでした。
「人を愛する」ということを、「愛」とか「大切」とかそんな直接的な言葉を一切使わずに、しかしそれ以上に「愛」ということを表現している歌詞でした。
僕が今まで聴いてきたラブソングの中で、だんとつに一番の歌になりました。
まだ聴いたことの方は、ぜひ聴いてみてください。
キーワードは、「ミジンコ」です。
そんな竹原ピストルさん、全17曲、約1時間半のステージが終わった時には、すでに0時を回っていました。
時間を忘れるとはこのことかと実感したライブでした。
最後は打ち上げにまで参加させていただいて、ありがたくもピストルさんとお話することもでき、夢のような時間でした。
僕の話にもうんうんとしっかり耳を傾けてくれたピストルさん、第一線で活躍されている方なのに、それを全く感じさせない等身大で謙虚な姿に、すぐに好きになりました。
昨夜のジグザグは、すべての垣根を取っ払ってただの「人」と「人」になって酒を飲み交わした、最高な夜でした。
次は、僕もピストルさんと同じステージに立てるように音楽に夢中になっていきたいと思います。
ヤルキガミナギル
昨日は〜ネガティヴな〜投稿になってしまって〜すみませんでした。
でも、なぜか知らないけど、そんな内容の時の方がアクセス数が上がったりして。不思議。
ブログというものは、リア充アピールよりも、迷いや悩みを赤裸々にぶつけていた方が魅力がでるのだろうか。
確かに、僕はどちらかというと宮沢賢治よりも、太宰治のほうが好きだったりする。
宮沢賢治のような禁欲で質素でお綺麗な世界観も人間の理想として憧れるが、太宰治のような悩み苦しみ、だらしなさやどうしようもない感じが、僕は人間らしく、人間くさくて好きだ。
あれ、
そんなことはどうでもいいのだ。
本題は、明日ライブをするからそれが楽しみでウキウキしているよってことを書きたかったのだ。
ウキウキ♩
明日、嘉手納町にある「道の駅かでな」の月に一度の週末市というイベントの中でライブをさせていただきます。
ここのところ音楽に対してメラメラな僕。
与えられた30分で、エネルギーを出し切る意気込みであります。
よっしゃこい!
張り切らない、頑張らない。
「こうしたら喜んでもらえるかな」とか、
「〜のために」とか、
自分自身で勝手にハードルを上げて意気込んでしまうと、予想していた結果よりも残念なことになって、スカな感じになることが多いようです。
そういえば、この感覚はたまーに感じることがあったな。
相手に喜んでもらえるだろうと思い、意気揚々と渡したら、意外にイマイチな反応だったり。
そんな肩すかしがたまにある。
前のブログで「家族のために」なんて大それたことを書いたけど、その意識をした時点で間違いだったんだな。
誰かのためなんて偉そうなことは言わず、すべては自分のため、自分がしたいこと、そして心から納得できることをひとつひとつやっていこう。
サプライズが好きな人って、サプライズをしてあげて、相手に喜んでもらうことが好きなのだろうか?
それとも、相手のためにあんなことやこんなことを計画して、頑張っている自分自身が好きなのだろうか?
複雑だ。
とにかく、今はとにかく、書道の練習頑張ろう。それしかない。それをするだけだ。
夕飯なんて食べている暇ないぞ。
とにかく墨をするしかない。とにかく筆を執るしかない。とにかく紙に向き合うしかないんだよ。
あと、CDも作りたい。
まさかの失速
昨日、ブログ書きませんでした。
忘れてはいませんでした。
書かなかったというよりは、書けなかった?感じ。
書こうとする気持ちはあったのだけど、何を書こうと考えても、考えがうまくまとまらず、それと同時にひどい睡魔に襲われて、「も、もう、いいや、もうええんねや…」という感じでパタリと寝てしまったのです。
何を言っても、言い訳にすぎませんけど。ね。
このブログもあと少しで終わるけど、やっぱりゴールが見えてきたぐらいが、一番きつい気がします。
フルマラソンでいうところの、37キロ地点のような。
ゴール直前だと、最後の気合いが入るんだけど、あと10を切ったぐらいのこの微妙なカウントダウン…キツイ。
結局このブログを通して、何を書きたかったのか、何を伝えたかったのか、何を残したかったのかなんて、何もわかりませんでした。
今もわかりません。
誰に向けて書いているのかも、読んでくれた人にどう思ってもらいたいのかも、全然意識していないので、このブログ自体に意味があるのかもわかりません。
とりあえずTwitterやFacebookにリンクさせて、アクセス数が多ければニンマリして、少なければ落ち込んで、の一喜一憂の日々でした。
あーーーーー
かっくいいジーパン欲しい。
家族が喜んでくれる。
家族のために、家族が喜んでくれるなら、僕は、僕のできることならなんでもしたいと思う。
小さな頃から続けてきた習字が、今になってようやく書道として自己表現できるようになってきて、作品をつくったり、依頼されて浄書をしたりするようになった。
何年か前からか、祖父母の誕生日や敬老の日には、書作品を作ってプレゼントしている。
祖父母はそれをすべて家の中に飾ってくれて、今では数も多くなった。
今、自分で見ると納得のいくようなものではないように見えるが、それはその時の自分の出来る限りの力なので、それはそれでいいと思う。
一番は、祖父母が喜んでくれているから、それだけで嬉しい。
そして、昨日は母から浄書の依頼をもらった。
母が所属している合唱団のコンサートの案内看板書きをお願いされた。
僕はそれを二つ返事で引き受けた。
まだ書いてはいないが、必ずかっこよくビシッと書いて、喜んでもらえるように頑張る。
最近からようやく、まだまだではあるけど、少しずつ、親孝行、家族孝行が始められている気がしている。
今のこの環境を大切にかみしめて、家族が喜んでくれるような活動をしていきたい。いく。